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マイクロソフトのブレークスルーにより汎用量子コンピューターの実現が近づく

[2017年9月25日] アリソン リン (Allison Linn)

20年前にマイケル フリードマン (Michael Freedman) がマイクロソフトの理論研究グループに参加した時、彼はトポロジーと呼ばれる難解な数学分野の基礎研究で知られる、著名な天才数学者でした。

フリードマンの仕事は、ただ数学を研究することでした。他にやるべきことはありません。彼はそれが仕事と呼べるものではないとすら思っていました。

このような幅広い研究活動により、マイクロソフトが世界初のトポロジカル量子ビットを作り出す道が築かれました。トポロジカル量子ビットは安定性が高い量子ビットであり、マイクロソフトは、それがスケーラブルで汎用的な量子コンピューターシステムの基盤となると共に、量子物理学の領域における重要なブレークスルーになると考えています。

マイクロソフトの量子コンピューティングの取り組みを統括するコーポレートバイスプレジデント、トッド ホルムダール (Todd Holmdahl) は「今、私たちはまったく新しい革新的テクノロジ基盤の可能性を見ています。鳥肌が立つ思いです」と述べています。 マイクロソフトは、9月25日のIgnite コンファレンスにおいて、トポロジカル量子ビット、そして、ハードウェアとソフトウェアのエコシステムの両面における成果を紹介しました。これは、最終的には多くの開発者が量子コンピューターのパワーを活用できるようになることを意味します。

今回発表された成果には新しいプログラミング言語が含まれます。この言語は、Visual Studio と緊密に統合され、量子シミュレーター上でも量子コンピューター上でも動作するように設計されています。

マイケル フリードマン/ 写真提供 ブライアン スメール(Brian Smale)

量子コンピューティングのエコシステムを構築するというマイクロソフトの計画は、一見神秘的な数学と物理の分野に基づいているため、初期のパイオニアたちは哲学や霊的な概念を用いてそれを説明してきました。1970年代には、自己啓発専門家からの支援を得たこともあります。今日でも、専門家は量子コンピューティングの理論を説明するために「魔法のような状態」(“magic state”)といった用語を使うことがあります。

神秘的なものを想起させるものの、専門家は量子コンピューティングが多くの現実的なメリットをもたらすと考えています。今日使用されている最高性能の従来型のコンピューターでさえも、宇宙の寿命ほどの時間を要する計算を数分あるいは数時間で行うことが可能になるからです。これは、かつては解答不可能と考えられていた、科学の問題の解を見つけられる可能性があることを意味します。

研究者は、最終的には、量子コンピューティングが飢饉や気象変動への対策など、世界の最も困難な課題を解決するために使用される可能性があると述べています。 量子コンピューター上で動作するソフトウェア、マシン構築中でもソフトウェア開発を進行できるようにする量子シミュレーターの開発を統率してきたクリスタ スボレ (Krysta Svore) は「量子コンピューターは自然をモデル化することができます。従来型のコンピューターではこのプロセスを理解することができませんでした」と述べています。

専門家は、トポロジカル量子コンピューターの最も初期の活用方法として、機械学習のアルゴリズムに学習させるというAI(人工知能)の専門家が労力を費やしている作業を高速化できると考えています。

クレイグ マンディ (Craig Mundie)

十数年前に、フリードマンの量子コンピューティングの研究を最初に支援したのは、マイクロソフトの最高研究戦略責任者クレイグ マンディ (Craig Mundie) でした。マンディは、もし量子コンピューターが Cortana デジタルアシスタントの学習アルゴリズムを数カ月ではなく1日で処理できるのであれば、それはAIにおける重要な進化になると述べています。

「他の条件が同一であっても、Cortana は30倍高速になるでしょう」と、プロジェクトに深く関与してきたマンディは述べています。

フリードマンにとって、人生を費やした理論数学での研究成果が、かつては未解決の問題を解決できる可能性がある現実のコンピューターに応用されるということは、「きわめて感慨深い」ものです。キャリアのほとんどを応用とは独立した理論数学の研究に費やした後に、トポロジカル量子ビットを構築に関与したことを、フリードマンは自分がやった最初のまともな仕事だと冗談めかして言っています。

フリードマンは、自分の仕事が人々の生活を一変させる可能性があることについては、ほとんど考えたことがないと言っています。

「量子コンピューティングの応用について尋ねられることがありました。私のモチベーションは何なのかということです。病気を治療したいのか、新しい素材を開発したいのか、環境を保護したいのか。実のところ、そのどれでもありません。現段階では私にとっての関心事は、量子コンピューターを動作させるということだけです。」

理論から実践へ

フリードマンの課題のひとつは、マイクロソフトは単に実験室でデモをするためだけの量子コンピューターの構築には関心がなかったことでした。マイクロソフトは、フル機能のトポロジカル量子コンピューティングシステムを提供するという計画に乗り出していたのです。これには、数万の論理量子ビットを必要とする計算を定常的に実行できるハードウェア、そして、量子コンピューターをプログラムし、コントロールできるソフトウェアなどあらゆるものが含まれていました。

測定ワイヤーを量子デバイスに接続する

「物理学や制御プレーンからソフトウェア、さらには、パーソナライズド・メディシン(個別化医療)や気候変動への対応に応用できる量子科学などの興味深い仕事をコンピューターに行わせるアルゴリズムに至るまで、私たちはあらゆることを行っています」とホルムダールは述べます。

さらに、マイクロソフトは、量子コンピューター構築後の世界における暗号やセキュリティにフォーカスした関連研究も行い、量子コンピューターでも破れない暗号化アルゴリズムを構築するという業界全体の取り組みにも参画しています。

マイクロソフトの取り組みの中核にあるのは量子ビットです。

十数年前に、フリードマンが量子コンピューティングの研究の支援を求めにマンディを訪れた際、マンディは、量子コンピューティングには先がないのではと言いました。物理学者は長年の間、量子コンピューター構築の可能性を議論していましたが、動作するコンピューターの構築に必要な、正確性を有する量子ビットの作成に苦慮していました。

正確性を欠く物理量子ビットを使用する研究者にとって、真に有用な計算を行えるだけの信頼性を提供できるひとつの「論理」量子ビットの作成に、およそ10,000の物理量子ビットが必要でした。

問題は量子ビットがきわめて不安定であることでした。少しでも干渉を与えると「デコヒーレンス(decohere)」を起こします。わかりやすい言葉で言えば、計算に求められる物理的状態ではなくなってしまうのです。

フリードマンは、より堅牢なトポロジカル量子ビットというアイデアを追求していました。トポロジカルな属性が量子ビットの安定性を向上し、本質的なエラー保護を実現するという考え方です。物質のトポロジカルな状態とは、電子が分割されシステム内の様々な場所に存在し得る状態です。電子が分割されると、情報が複数の異なる場所に保存され、その状態を変化させるには保存されたすべての情報を変化させなければならないため安定性が向上します。

スーパーコンピューターの設計とソフトウェアエンジニアを長きにわたり経験してきたマンディは、より堅牢で、耐障害機能が組み込まれた、量子ビットというアイデアを大変気に入りました。スケーラブルで有用なマシンを構築する作業を劇的に容易にする可能性があるからです。

「コンピューターは、社会と経済のあらゆる局面を変革しています。これらの基本的構成ブロックを置き替える、新たな種類のコンピューターを実現できれば、過去50年から60年間に行われてきた変革を再び成し遂げることができるしょう」とマンディは述べています。

フルスタックの提供

マンディの支援の元に、フリードマンはカリフォルニア州サンタバーバラに研究所を立ち上げ、トポロジカル量子ビットの開発のために、世界の著名な凝集物質物理学者、理論物理学者、材料科学者、数学者、そして、コンピューターサイエンティストを採用し始めました。現在、チームには、レオ カウウェンホーブン (Leo Kouwenhoven)、チャールズ マーカス (Charles Marcus)、デビッド ライリー (David Reilly)、マシアス トロイヤー (Matthias Troyer) といった多くの著名な量子物理学の専門家が所属しています。

フル機能のコンピューティングプラットフォームを作成するために、マイクロソフトは、トポロジカル量子コンピューティングのハードウェア、ソフトウェア、そして、プログラミング言語の構築に同時に取り組んできました。

クリスタ スボレ(Krysta Svore)

イベントIgniteにおいて、マイクロソフトはフルスタックを構築する取り組みの最初のマイルストーンを発表しました。それは、開発者が量子シミュレーター上でアプリケーションを開発し、デバッグできるようにし、将来には実際のトポロジカル量子コンピューター上で実行可能にする新しいプログラミング言語です。

「今、シミュレーションで稼働しているのと同じコードが、将来には量子コンピューターで動作します」とスボレは述べています。

スボレによれば、この新ツールは、コンピューターの進化の最先端に関心がある開発者、つまり、機械学習などのAI分野を早い段階で受け入れていたような人々向けに設計されています。

このツールを使うには量子物理学者である必要はありません。この新プログラミング言語はVisual Studio と緊密に統合され、デバッグ機能やオートコンプリートなど開発者が従来型コンピューターでも使用されていたツールも含まれています。

「既に使っているツールと大きく異なる要素はありません」とスボレは述べています。

今年中に無料のプレビューとして利用可能になるシステムには、ライブラリとチュートリアルも含まれ、開発者は量子コンピューティングに慣れることができます。高い抽象度で機能するように設計されているため、量子コンピューティングの知識がない開発者であっても、量子コンピューターで実行されるサブルーチンを呼び出したり、プログラミングの指令を書くことにより完全な量子コンピューター向けのプログラムを作成したりすることができます。開発者は今すぐサインアップすることでより詳細な情報を入手することができます。

システムは、個人ユーザーが最大 30 の論理量子ビットを使用する問題を、自分のパーソナルコンピューター上でシミュレートできるように設計されています。また、一部のエンタープライズのお客様は、 Azure を使用して40量子ビット以上のコンピューティング能力をシミュレートできます。

量子コンピューティングの世界では、計算能力は論理量子ビットの数に応じて指数関数的に向上します。論理量子ビットとはアルゴリズムのレベルでの量子ビットのことです。ハードウェアのレベルでは、各論理量子ビットは論理情報の保護のために多数の物理量子ビットで表現されます。マイクロソフトのアプローチでは、ひとつの論理量子ビットに必要な量子ビットの数が少ないため、規模拡大が容易です。

シミュレーション環境でも動作するプログラミング言語の主要な利点のひとつは、人々が問題解決に量子コンピューターを使うことに関心を持たせ、多様な問題に対する量子コンピューターのパワーの活用法を、より深く理解できるようになることだとスボレは述べています。これにより、量子コンピューターが利用可能になった時には、迅速にその利点を活用できるようになるでしょう。

地球上で最も低温の場所

トポロジカル量子ビットは通常の量子ビットよりも安定していると考えられていますが、それでもきわめて不安定です。デコヒーレンスをもたらす可能性がある外部の干渉から保護する唯一の方法は、きわめて低温の場所で動作させることです。

マイクロソフトの量子コンピューティング部門のアーキテクトであるダグラス カーミーン (Douglas Carmean) が率いるグループは、量子ビットを絶対零度からほんのわずか高温の 30 ミリケルビンの温度で動作させつつ、外部の室温で動作するコンピューターともやり取りできるようにするためのシステムアーキテクチャーを構築しています。これは、地球上で最も低温の場所であり、宇宙空間よりも低温です。

現在は、研究者が完璧な実験室環境で 1 量子ビットによる実験を行うといった段階です。しかし、カーミーンは、最終的にはプログラマーが数十万以上の論理量子ビットを使って計算をできるようなシステムを構築したいと考えています。

「基本的に私の仕事は、理論研究者が一度でも機能すると示したものを数百万個組み合わせて有用なものを作り上げることです」とカーミーンは述べています。

長い旅路の終わりの始まり

量子コンピューティングの専門家はよく次の 2 つのことを言います。トポロジカル量子ビットの最も有効な活用法は、優れた量子コンピューティングテクノロジを開発することであること、そして、この種の取り組みで最も楽しい点はどのような進化をもたらすかが予測できない点であることです。

十数年前にマンディがフリードマンの研究の支援を開始したのは、量子力学理論が工学の世界にまで到達するという現在の状況をその時に思い浮かべることができたからです。

リチャード ファインマン (Richard Feynman) が量子コンピューティングの概念を考案してから50年以上が経ちますが、今、マンディは、この新しいタイプのコンピューティングが作り出す量子エコノミーに期待しています。従来型のコンピューティングが社会のほぼすべての局面を変えてしまったように、量子コンピューティングが化学、材料科学、機械学習を初めとした、ほぼすべてのものを変革していくようになるとマンディは考えています。

「70年経過して初めて私たちは今までとまったく異なるコンピューティングシステムの構築方法に直面しているのです。これは、段階的な改良ではありません。本質的に異なるものです」と彼は述べます。

トップイメージ: 量子ビット(qubit)はきわめて低温の環境で作成し、操作しなければなりません。研究者は希釈冷凍機を使用して「パック」に挿入された量子デバイスをミリケルビンの温度にまで冷却します。